Saturday, June 30, 2012

MBA受験ノウハウについて

MBAトップ校合格のために、自分の経験談を項目毎のTipsにまとめ、これから数回に分けて投稿したいと思う。

1)MBA受験合格のために心がけるべきこと
2)TOEFL

3)GMAT
4)エッセイ、推薦状
5)インタビュー
6)奨学金獲得
7)資金調達


全体として、純ドメ受験生の過酷さを認識することが受験を勝ち抜く上で重要。
受験のプロセスでは、TOEFL、GMAT、エッセイ(推薦状含む)、インタビューがあるが、英語が苦手な純ドメ生にとって、最も大変なのは、TOEFLのリスニング

なので、リスニング攻略がトップ校攻略の上で最重要と言っても過言ではない。
次項では、1)~7)まで自分の体験談を含めたTipsを順次語っていく。

MBA受験 1)合格のために心がけるべきこと に続く。

Thursday, June 28, 2012

渡米1時間前に想うこと!

6月28日の渡米まで日本で過ごすのは、残り3日。
本来は、余裕で身構えて、家族と過ごし、信頼する先輩達に菓子折りを持参して挨拶回りをする、
という行動を思い描いていた。

でも実際は、本当に情けない3日間になってしまう。

・25日
朝から永遠と片付け作業を開始し、いらない物を捨てつつ、いるものをダンボール箱に整理。永遠と作業。
夕方、個人面談を1度受けたIBDから電話が鳴り、「2回目の面談を実施したい」とのこと。渡米が近いので、自分から提供できる日程候補・時間帯は2日間・午後のみ。
(IBD、コンサルのインターン獲得への動きについては改めて綴る、といっても未だ獲得してないが)

面談対応の人員手配が整えば、連絡はgmailに頂けるとのこと。
船便で送るためにダンボールにつめていた、一着のスーツ・シャツ・ネクタイを箱から取り出す。

そしてまだまだ作業は終わらない。
3ヶ月以上前からやるべきことは明らかだったし、先陣のブログを読み上げれば、渡米前の直前に焦ることは避けたいと思っていたはずなのに。
自分のスケジュール感の無さにがっかりする。MBA2年間で、スケジュール管理の出来るプロフェッショナルになる!と改めて決意。
荷物整理をしながら、足りないモノを買い足しに出かけたり、結局ダラダラ作業を続けて朝5時までかかってしまう。

・26日
朝10時、日通による段ボール回収。5箱で7万5千円の契約だが、4箱のみ。どう頑張っても4箱以上に出来なかった。
でも、後で痛い目に会うことになるとはこの時、知る由もなかった。
朝10時、まだIBDからメール来てない。10時10分来てない。・・・10分起きにチェックしていると、普通に電話での連絡を希望すれば良かった。
そして10時45分にメール受信。「急ですが、14時30分に本社にお願いします」とのこと。即効でOKメール返信。
こちらから狭めた日程候補なので、ヤフーの路線検索を行うと、アポに間に合うためには5分以内に出発する必要があると分かる。
そして気づいた。革靴が無いということに。
日通のダンボールから革靴を取り出すことを忘れていた。
「あーーーーーーーーーー」部屋で思わず絶叫した。
1分間、パニック状態に陥った後、仕方なく、スリッパでタクシー、新幹線に飛び乗る。

結局、先方の都合でアポ時間帯が18時に変更になり、急ぐ必要も無かったのだが。
そして大事なマンション引渡しのためにやるべき作業が出来ない、、、と思ったが、
ウルトラブックは持っていたので、PCでやる作業があり過ぎて、休み無く作業して18時を迎える。
IBD面談は和やかに終了、予定より1時間延長したため、Wharton/Kellogg飲みには参加せず、終電で帰宅。
飲み会参加出来なかったなぁと思いながら東京駅に向かう最中、
「Wharton/Kellogg飲み or Kellogg/Wharton飲み!」の「タイトル」で言い合いになって盛り上がったりしてるんだろうな、良いなぁ!と想像してほくそ笑んだ。
新幹線のなかでも一切休む事無く、永遠と作業。PCでIBD面談の議事録を作成しつつ、お礼メールの文面作成、その他挨拶すべきお知り合いの方々への文書作成。
帰宅後も休み無く、引越し作業を永遠と作業、5時までかかって就寝。

・27日
朝8時にリサイクルショップ訪問のチャイムで起きる。
ベッド(布団付)、テーブル、テレビ、洗濯機、電子レンジ、細かな家電多数を全部引き取ってもらって、料金はなんと、罰金10500円。
洗濯機やベッドは巨大で高額のペナルティがかかってしまう、とのこと。そして冷蔵庫は年式が古く罰金額が特に高かった。
これらをヤフオクで売りさばいて儲けるんだろうな、と勘ぐる。
でもこの業者に依頼したのは時間が無かったのが一番の理由だけど、最近近所に出来たリサイクルショップで日本語ネイティブではない中国人が経営していたから。
日本語が流暢でないのに、公安に許可証を申請してリサイクルビジネスを立ち上げる心意気を想像して応援したくなった。
片言の日本語で敬語も使えていないけれど、誠実に懸命に説明してくれるから、応援したくなる。

そういえば、この日はトラブルが続く。
・水道屋の最後の集金では、払ったハズの料金を再請求される。
・インターネットの機器を回収しに来たJコムの社員が立ち去った30分後に別のJコム社員から電話が入り、今から撤去に伺うと言われる。詐欺かと思った。
・11時に来るはずの明け渡しの不動産屋は来ない。電話すると、「忘れていた。部屋に契約書を置いて、カギはポストに投函しておいて」とのこと。
殺意が芽生えたが、時間が無いので従う。

そして退去時、渡米時の自分のスーツケースの重さにドン引き。これは明らかに30キロオーバー。
制限23キロを遥かに超えている。
日本最後の夜だからホテルは攻めても良いかなと一瞬思ったが、結局、十三の東横インにステイ。
おそらくこの日に届くであろう郵便物を淀川支店に取りにいく必要があり、淀川支店の近くを探したから。
東横インに荷物を全て置き捨て、ネカフェに移動。海外送金の流れを確認するため、サイバーエージェントFX口座での作業、シティバンクでの作業をそれぞれ確認。
これもなんで1ヶ月前にしていないのか。。。自分に失望。
夜はホテルで30キロの荷物を23キロまで落とすための仕分け。結局、本数冊、マラソンシューズ、買ったばかりのノートなど断念し実家に送る。
就寝。

・28日
ここでやっとタイトル。「渡米を1時間前に控えて想うこと」。
日本を離れる前に色々と考える余裕も無く、めちゃめちゃ慌しいなかでの最終日になってしまい、自分の計画性の無さを痛感。本当に情けない。
TOEFL67回受けたのは粘り強さがあるからじゃなくて、計画性が無さ過ぎるからなんだ、と気づかされる。
そして、気づけば関西国際空港のデッキにいた。
やり残したことが沢山ある。
一番やり残したと感じるのは、今まで出会った大事な皆様への挨拶を済ませられなかったこと。
じゃあ、今まで何をしていたのか、というと、仕事する必要が実質的に無かった5月以降も、ほぼ毎日人と会っていた。これから日本を去る渡米直前の2ヶ月は新しい出会いが
山ほどある。同じタイミングで日本から世界のMBAに留学する同級生、Whartonコミュニティで出会う同期・先輩、フルブライト奨学生のイベント、就職活動関連の壮行会、、、
などなど。
毎日、新しい出会いがあり、芋づる式にどんどん色んな人に会っていた。そして気づけば渡米まで3日になっていて、上記の慌てよう。

飛行機が離陸するのを待つ機内では、走馬灯のようにこれまでの自分の過去が思い出された。
リクルートに入社した1年目4月から、自分は海外にMBA留学する!と公言して、人間力のある先輩・お客様に叱咤され、鍛えられた。
リクルートでは、関西の地場の中小企業のおっちゃん達に対して採用提案を行い、現場で経営を学んできた。
そんな社会人1年目から願い続けてきた想いがやっと実現する。

中古車企業にヘッドハンティングを受け経営者として移った25歳。
社長就任を祝うオーナー会議の挨拶で、「自分は将来MBAに行く!」と宣言した。
これは賛否両論あり厳しい批判を受けることになったけど、自分の信念を曲げずに働きたいと想った若気の至り。
今なら、もう少し色んな立場の人の思いを考えてオブラートに包んでいたんだろうな。
経営者として走り回った3年10ヶ月。
語れる成果は沢山あっても、実感は、「全然ダメダメな経営者だった」。マネジメント能力ゼロだと痛感させられ辞めたいと思ったこと、20歳も年上のオーナーに自己破産を迫り、離婚の上自己破産を完了させたこと、一番応援していた現場の社員が突然逮捕されたこと、、、。語ればキリが無い。

だからこそ、これからの2年間は本当に大事な2年になる!と確信している。
グローバル基準に物事を捉えられるビジネスマンになって、成長した!と言い切れる自分になって日本に戻る!
そう力強く心の中で誓うと、飛行機が動き出した。

29歳~31歳のキャリアをストップさせてでも行きたいと信じたMBA!
社長というポジションを捨ててまで取りたいと思ったMBA!
ついにこれから始まる!!
行ってきます!!

Sunday, June 24, 2012

マラソンの楽しさを教えてくれた大切な人!

マラソンをやっていて心の底から良かったと思えること、

それは「人との出会い」。
2009年8月にマラソンを始めて、僕がもっとも影響を受けた人、陽子さんとのディナー。
僕の価値観を変革させてくれた陽子さんには本当に感謝している。
2011年12月4日にアミノバリュークラブという大塚製薬後援のマラソンサークルの忘年会で初めて出会った。
(アミノの説明は別の機会に行う)

彼女が主体的に立ち上げた別のサークルで「東日本チャリティリレーマラソン(通称:風ゆる?」というリレーマラソンを行うサークルがある。いま気づいたが僕はサークル名を知らない(苦笑)。
毎月1回、大阪城の周回コースをリレーで走る。42キロ分、みんなでタスキをつなぎ、大阪から東北までの距離を埋めていく。
毎回、100名近い参加者が参加料として500円を、赤十字を通じて東日本大震災の復興支援の義援金として寄付する。
彼女たちの活動を応援する企業がスポーツ用品や飲料を寄付してくれ、活動を盛り上げるサポートをしてくれている。
もともと神戸出身の陽子さんは、1995年阪神大震災当時、震災支援の雰囲気が時間とともに加速度的に忘却されていくのを被災者として感じた。
なので、東日本大震災の復興支援のために自分たちに出来ることを追求した結果、「少しでも長く支援を続けよう・広く支援の輪を拡大させよう」と願い、東北までタスキをつなぐリレーマラソン企画を立ち上げた。

こんな活動を行う陽子さんと接していて本当に凄いと思うのは、彼女が常に他人の立場に立って動き続けていること。

自分よりも他人、みんなの喜ぶ姿をみるために積極的に裏方の仕事が出来る、彼女の魅力で大量の素敵な人たちが惹きつけられる。
そんな素敵な人が、どんどん魅力的な人を呼び寄せるという正の連鎖が起きている。
陽子さんは、輝く花のまわりに無数の蝶が集まってくるのを見ているようで、ヒマワリみたいな人。

だから彼女のコミュニティは本当に楽しい。

初めて出会った1週間後に出場した奈良マラソン。
僕を含めてアミノ、風ゆるのメンバーが沢山ランナーとして参加していたが、彼女は応援で駆けつけていた。
残3キロの一番しんどいタイミングで大声で名前を呼んでもらった!パワーをもらって、全身が震えて、涙が出た。マラソンで泣いたのは初めて。
マラソン大会での楽しさの1つは、地元の人たちが声援を送ってくれ、元気をもらうことだけど、友人に同じことをされると10倍嬉しい、と感じた。
彼女から刺激を受けて、1ヵ月後は彼女と一緒に大阪国際マラソンの応援に駆けつけた。
知り合いは勿論、知らない人にも大声で「ファイトー!」と声を掛ける陽子さんの真似をしながら、自分も応援する。

マラソン大会の沿道での応援は、想像を遥かに超えて、応援は楽しい!
楽しいポイントは2つある。
1つは、声援に応えてくれるランナーが予想以上に多い。
約5000人が出場する大阪国際マラソンで、感覚的に20%のランナーは応援する僕たちに対して、「ありがとう」とか「頑張るわー」と言ってくれる。
1時間で1000人に感謝される経験は一度体験するとハマる。
2つは、感動的な場面に何度も立ち会える。
一般道を走る大会は、各キョリ毎に時間制限をかけていて、関所が設置されている。
今回は関所ポイントで応援していたが、トップランナー、友人を応援する時は勿論興奮するが、タイム制限ぎりぎりに足を引きずりながら、関所を越えるために
ペースを上げる同年代の女性を応援した時は泣いてしまった。今綴っていても泣けてくる。
人のために動くこと、感謝されることの楽しさを体感させてもらった。陽子さんは年に10回以上友人を応援するためだけにマラソン大会にかけつけている。

そんな陽子さんに渡米直前に頂いたメールを引用。
・大変=大きく変わること。
・それも大事だけど、今のままの僕の居心地の良さは変わりませんように。
・人との出会いってタイミング。そして、出会うべくして出会えた人は、何年一緒に過ごしたかじゃなくて、どれだけ濃密な時間を共有出来たか。
・これから始まる新しい時間軸の中で、沢山の濃い出逢いがありますように。それをいっぱい繋げて、帰ってきてね。心の底から応援してるよ。
引用終。


僕が陽子さんから学んだことは、「マラソンは、人から感謝され、人に感謝する団体競技」ということ。

Saturday, June 23, 2012

自己紹介

まずは自己紹介する。少し長い。
1982年生まれ、29歳。
京都府の城陽市というド田舎で生まれる。
19歳まで京都府で育ち、一浪の末、2002年4月、東京大学教養学部に入学。3年時、経済学部に進学。
在学中は殆ど勉強しなかったが、最も気合を入れて活動したと思えることは、、、
「料理愛好会の立ち上げ」
現在も活動が続いているが、元々大学2年時に友人と立ち上げた。男子は東大生限定、女子は何でもアリ、という極めて真面目なサークルの
活動内容は、毎週調理実習室で料理を行うこと。
飲みサーにならず自然消滅を避け、学園祭出店・料理合宿開催・料理本出版のための出版社へのプレゼン(敗退)・料理番組出演(朝日放送)など
様々な活動を行い、挙句の果てに調理師専門学校に通って調理師免許を取得した。
この活動のプロセスは本当に楽しくて、リーダーシップを発揮する快感を得た。
自分自身で誇ることが出来る成長を感じた経験だった。
一方、学業に関しては、一応経済学部出身なのに、経済について何も語ることが出来ない人間として卒業してしまう。

卒業後、2006年4月、株式会社リクルートに入社する。
就職活動をした際、経営者の視点で働くことが出来る企業を探した。その結果、商社に絞るが、友人に勧められたリクルートも受けることにした。
商社に行きたい気持ちが強すぎて、トータル60人のOB・OGに直接お会いした際に感じたのは、あまり輝いていない方が多いということ。
尊敬出来る方とも沢山出会ったが、そうではない方に出逢い過ぎてイメージが悪くなってしまった。
一方、リクルートは出会った社員が皆、輝いていた。商事とリクルートで迷っている際、言われたことは今でも覚えている。
「リクルートはお金を貰いながら通うビジネススクール」
「3年で辞めて起業しようと思っていたが、仕事が面白すぎて6年働いてしまっている」
「将来、医療業界を変革するサポートをしたい」
など、この会社で働けば自分も成長できると理解して、即決で入社を決断した。
リクルートでは採用媒体のリクナビやリクナビネクストを中小企業向けに案内する営業として関西に配属された。
毎日100件の新規電話、社長アプローチで1年目から経営者と1対1で議論が出来る、ことに面白みを感じ、
泥臭い営業活動のプロフェッショナルが沢山いる、
モチベーションを高く保つ仕組みがソフト面・ハード面ともに確立されているリクルートで沢山学んだ。
2年目になると、仕事の質が高まり、経営者から人材領域だけでなく、色々な相談をして頂ける関係性を築けることが増えた。
毎月、飲みにいく社長の数が増えていくのも嬉しかった。
一方、感じてきた不満は、経営者の視点に立つには、採用支援だけでは限界があるということ。
そんな中、2007年11月に新規クライアントに対し、自分の目標数字3ヶ月分の提案をして、競合コンペを勝ち抜いて選んで頂いた。
新規受注としてあまりに高額な受注を得た自分は、責任を果たすために、そのクライアントのために没頭する。
やるべき仕事はリクナビのサイトを売り、WEBサイトを立ち上げること!だったが、自分が手伝えることを全て行った。
採用設計から面接までこなし、社内キックオフの司会まで務め、内定辞退する学生の担当教官に頭を下げて単位をもらう、ということまでした。

その結果、「うちに来ないか?」と声をかけていただき、「社長ポジションなら行きます^^」など返答していたら、本当に社長としてヘッドハンティングされてしまう。
2008年8月から、A社で経営者として働き始める。いつかMBAをとりに行くから3年で辞める可能性もある!と話していたが、期間は関係ないから構わないと言ってくれた。
A社は95年創業開始、99年組合を法人化していたが、組合組織を脱却仕切れずにビジネスを拡大してきた。
そして2008年時点、外部環境の変化に適用しさらなる拡大を続けるための業務改革が求められ、自分がリーダーシップをとって実行することを依頼された。
手当たり次第にやるべきことを精査して、「広告戦略・店舗開発戦略・店舗指導戦略の改定、契約書の刷新、全国エリア展開」など、幅広く任務を遂行した。
現場での業務は全てがtrial、errorで3回間違えて1回正解が出れば良い、というマネジメントをしてきた。
(経営者時代の内容は、語りたいことが沢山あり過ぎるので、別の機会に綴る)

この過程で痛感させられたのは、ドメスティックな産業で、雇われ社長として実験的に経営してきた自分は、「体系的な経営知識が足りない」ということ。
また、グローバル規模の成功・失敗体験を積むことで、自身をストレッチさせ、世界に通用するビジネスマンになりたい、ということ。
さらに、本場の教育現場をビジネススクールで体感し、日本の教育現場を変革するサポートをしたい、という思いは学生時代から抱いており、いつかMBAを取りに行くと決めていた。
でも、本音は世界中の同世代の友達を創りたかったし、英語も上手くなりたかった。

結果、2012年8月からペンシルバニア大学Wharton校に留学する。
29歳~31歳という多感な時期に2年間、仕事から離れる不安もあるが、今はそれ以上に得られる何かがあると信じて興奮している。

趣味はマラソン。
2009年に初めてフルマラソンに出場してハマッた。アメリカでの出走予定は、2012年11月ニューヨークマラソン、同月フィラデルフィアマラソン、2013年1月ウォルトディズニーマラソンまでは確定済。3月ロサンゼルスマラソン、4月ロンドンマラソンも予定が合えば出たい。2年間で全米の主要レースは全て制覇する。

Thursday, June 21, 2012

ブログ開設しました!

目標だったMBA留学がついに実現する。
アメリカのフィラデルフィアにあるペンシルバニア大学、Whartonで2年間学ぶにあたって、ブログを立ち上げる。
ブログの目的は、以下3点。

1)感じたことの備忘録
29歳~31歳というビジネスマンとして多感な時期に敢えて私費で挑戦する2年間。
世界中から集まってくるビジネスマンとの様々な出逢いで感じた色んな思いを忘れるのは勿体無いので、記録したい。論理的な文書よりも、
自分がやったこと・感じたことを羅列する自己満足のブログになる見込み。

2)日本にいる仲間への情報共有
自分が無事にアメリカで生きていることを知らせる、MBAで学んだことを報告する手段としてブログを書く。どんなテーマでも綴る可能性が高いけど、
家族や親戚にもこのブログの存在は共有するつもり。

3)新たな出逢い
学生時代に書いたブログをきっかけに、同志が増えていく、新たな友人を創るということを体験した経験がある。
今回は日本語版・英語版のブログを立ち上げ、世界中で新たな出逢いがあることを願う。
以上、3点の目的の元、緩くブログの更新を続けていく。
更新頻度やコメントへの返信は約束出来ないが、どんなに忙しくても睡眠時間を削って綴り続けたい。