Sunday, November 18, 2012

フィラデルフィアマラソン(サブ3時間30分目標)

11月18日(日曜)開催のフィラデルフィアマラソン!
家から徒歩10分のミュージアムが大会会場で非常に参加しやすい大会!
Whartonの仲間も大勢出走予定で、目標は違えど、意気込み十分でそれぞれ大会に挑む。
以下は今回のフィラデルフィアマラソンのコース図(ガーミンより抜粋)。



















スタート・ゴール地点はミュージアム。
まずはIKEA方面に向かって走り、折り返してセンターシティを突き抜け、ユニバーシティ方面に向かう。その後、川沿いを走り抜けミュージアムに戻る。ハーフはここで終了。ここからさらにハーフ分の距離を川沿いに走っていく。

スタート~10K
・レース開始時の位置取りは完璧。
11427人が出場する大会で、ゼッケンは227番だったので、ゲストランナーのすぐ後ろを確保。ネットタイムとグロスタイムに7秒しか差が無い好位置で出走開始!
・最初の10キロ通過タイムが48分で、4分48秒/kmで走り抜けた。ところが、たった10kmなのに、既に非常に辛かった。まだ序盤なのに何度もペースを落とすことが頭によぎった。スピード練習が足りていないのが原因か、と思いながら走る。
・センターシティのど真ん中、Chestnut Streetを走り抜ける際の気分は最高だった。常に沿道に人が溢れてcheer upしてくれる。無意識にペースが上がっていくのを感じた。

10K~30K
・チョコレートのバー(少し大きめ、260kcal)を16キロ地点(10マイル地点)で食べたが、飲み込むのが大変で、呼吸がしづらくなる。失敗だった。ゼリーにしておけば良かった。
・開始から飛ばしがちだと思っていたペースに慣れだしたのが20k以降。ミュージアムに戻ってきたハーフ地点で、感極まって涙が出る。「このまま走れば達成出来る!」「脚に痛みが生じても粘ってやる!」と思うと、ゾクゾクして顔をくしゃくしゃして泣いてしまう。
・一方、ハーフ通過の手元の時計を見て、1時間43分だったので、後半に4分しかタイムを落とせないのか、と思うと恐くなる。
・中盤の20-30K地点を走行時に、応援がまばらになる。途中、反対車線に23マイル(37キロ地点)の表示を見つけ、「ここをラストスパート地点にしよう!」と意識する。
・27キロ付近の橋を渡る直前に、応援の数が一気に増えた。DJブースが配置され、大声で叫んで応援してくれる。ぞくぞくして、また泣いてしまった。不思議だけど、「フィラデルフィアに住んでいて良かった!」という気持ちになり、地元のコミュニティと協力して闘いに挑んでいる気分が嬉しかった。

30k~40K
・橋を渡ってさらに川沿いを走る際に、どんどん脚が重くなっていくのを感じていた。27-37kの10キロを粘って走れば、ラストスパート地点に到達すると意識して、27-37kmのペースを5分以内で走ることを心がける(実際は4分53秒)。
・30k以降も、地元の声援に勇気づけられた。沢山のボードで勇気を与えてくれ、私設のエイドのCheer upにも元気をもらう。一番辛い区間になるはずだったが、応援のおかげで乗り切れた。この区間は道幅が狭く、沿道との距離が近くなるため、多くのボランティアの方に「Awesome man, Yuma!」みたいな感じで名前を叫んでもらい、体中に電気が走った感覚を味わう!
・32kで折り返し、32-37kは脚がさらに重くなる。ペースをあげているつもりなのだが、タイムは早まらない。ギリギリ現状維持しているだけ。逆に何も意識しないと平気でペースが落ちてしまう。500m単位で自分のペースが5分/kmを保っているかガーミンで確認しながら走行した。
・この辺りで周りのランナーのペースが落ち始めるのを感じた。スタート地点が前だったので、ずっと抜かれるレース展開だが、30kmを超えてから、抜かれるより抜く比率が高くなる。
・37k手前(=前半27K手前)で再び、沿道の応援が多くなり、体がゾクゾクした。このままラストスパートしようと思うが、脚が本当に重く、現状のペース維持が精一杯だった。手元の時計でペースは落ちていないが、今にも脚が動かなくなるんじゃないかという不安に駆られる。
・37キロ地点(23マイル地点)を通過した際、感動して本日3回目の涙。逆算して目標達成が確実になったことを確信したから。サブ3時間30分は達成出来るという自信で、やり切れたことが嬉し過ぎて、涙を拭いながら走っていた。なぜか、甲子園決勝、最終回にピッチャーマウンドに登る黒潮商業のエースの気分だった。

40k~Goal
・41キロ地点を通過してゴールまでの1キロで、大量の声援を受ける。Chestnutで応援していた方が移動してきたのかなと思うほど大勢に声をかけてもらう。
・ラップは早くなっていないが、自分ではペースを早めているつもりで走っている。なので、呼吸も苦しくなっていて、顔を歪めながら必死で走っていると、僕の表情を気にして、沢山の方から応援してもらう。
・最後の1kmを駆け抜ける際には、10人以上の方から名前を叫んでもらう。感動して、また泣いてしまう。終盤にかけて、どんどん盛り上がっていく応援は例えようがなく、とにかく最高の初体験!必死でペースupした。
・「Run for Japan」のTシャツを着ていたので、大勢の方から、「ガンバレー!」と日本語でも声を掛けてもらい、最終1キロでは、風ゆるのメンバーの顔が浮かんだ。大阪で送り出してもらったメンバーの姿を想像しながら、応援してもらっていることに感謝して必死にスパートする!
・最後の200mはスピードを上げて(いるつもりで)、そのまま走り抜けた!
結果は、




















ガーミンによると、約200m長く走ったことになる。









































自己ベスト更新、目標タイム達成の「3時間26分27秒」でゴール!!
ハーフ通過タイムは1時間43分00秒、後半ハーフのタイムは1時間43分27秒。後半でも27秒しかタイムを落とすことはなかった。
1kmの平均ペースは4分52秒(1マイルの平均ペースは7分52秒)。















ゴール後に写真撮影。レース中4回も泣いていたせいで目が腫れている。

※今回のマラソン大会参加の意義
・2012年11月18日は、自分にとって非常に意義深い瞬間だった
・20代最後に自分が設定した目標を達成し、モチベーションを最高潮に高めた状態で30代を迎えたいと思っていた。
・30歳を憂鬱な気分で迎えるのではなく、ワクワクして迎えたいと思っていた。
・結果的に、大満足!マラソン大会で設定した目標を実現したのは今回が初めて。フルマラソンのゴール地点で、最高の30代スタート地点に立てた、と満足感に浸っていた。


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Saturday, November 17, 2012

フィラデルフィアマラソン前日に思うこと


6月末に渡米して約4ヶ月半。
マラソンのトレーニングに継続して真剣に打ち込んだのは、初めて。
全ては渡米直前に気持ち良く送り出してくれた「風ゆる」というサークルのおかげ。
チームや仲間が存在するスポーツに取り組むことに喜びを感じるようになり、「走りたい!」というモチベーションが高まり、未だにテンションを持続して現在にいたる。

渡米後のトレーニング量は、7月160km, 8月201km, 9月243km, 10月200km, 11月155km(17日時点)。
今年のトレーニング量が、1月120km, 2月100km, 3月45km, 4月115km, 5月50km, 6月50kmということを考慮すると、渡米後のモチベーション向上度合いが理解出来る。

具体的なトレーニング
7月、8月は1回辺りのトレーニングを10km~15kmに制限し、スロージョグだけを行ってきた。1kmを6分30秒程度で走るペース。2日連続で走らないよう心がけた。

7月、週3日程度、各10km or 15km
8月、週3日、各15km 、どれだけ忙しくても2日に1度15kmを走ることを強く意識した。

9月はRock Rollマラソン(16日開催)への参加を意識して、ペース走を含めてトレーニング。UpennのRoadRunning Clubの練習会に参加し始める。練習は主にスピード練習でインターバルトレーニングを始めて経験する。

9月、週4日、各15km
スピードトレーニングを2週連続で参加して、左脚のふくらはぎを痛める。フィラデルフィアマラソン当日まで、今後ふくらはぎの痛みとの戦いになる。

10月はStaten Islandマラソン(7日)に参加予定だったが、脚の痛みのためトレーニング量が減少。ふくらはぎの状況を悪化させないため、LSDトレーニングに切り替える。基本的な練習は、1km辺り7分で週4-5回。15~20km走を繰り返す。
調整はNYCマラソンを意識してきたが、急きょ中止になった。そのため、残りの2週間も全てをLSDトレーニングに割いて準備することにした。
ふくらはぎの痛みは、練習開始の最初の1kmと練習後に強く感じていたが、練習中には痛みを感じなかったので、気にせず続けていた。

順調に調整を行ってきた今回の目標は、3時間30分を切ること。
2009年11月、福知山での初マラソンは37キロ地点でリタイア、2010年11月、淀川市民マラソンで初めて完走したものの、40km地点で歩いてしまいタイムは4時間36分。
2011年12月、サブ4を目指して歩かずに完走した奈良マラソンは4時間02分。
これまで6回チャレンジしたマラソン大会で3回リタイア、3回完走したにも関わらず、あまり感動せず達成感を感じられなかった。

最初は理由が分からなかったけど、今理解出来るのは、相応の練習量を確保せず、中途半端な意気込みで参加していたから。
自分の設定した練習計画に妥協し、寒さに負けてトレーニングをサボってきたので、大会で走った後には感動が少なかったと感じる。
沿道でランナーを応援してくださる地元の方や、共に練習してきた仲間には感謝の気持ちや元気をもらえるのだが、「人生観を変革する壮大な達成感」みたいな感覚は一切得られなかった。

でも、今回のフィラデルフィアは違う。
5ヶ月間、逃げずに練習に取り組み、今出せる限界の目標タイムを設定して大会に挑む。
真剣にトレーニングしてきたとはいえ、普通は達成できないタイムだろうが、
「目標達成への強い気持ちと街中が一つになると言われる熱い応援」
で乗り切りたい。
そして30歳になる節目となるタイミングに開催される今大会!
20代の最後を締めくくるために相応しい最高の結果を出したいと思っており、生きる力を高めたい!


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Tuesday, November 6, 2012

Wharton Roadrunners Clubの練習会

Franklin Fieldという立派な陸上競技場で毎週火曜に練習会が開催されている。
WhartonのMBA生だけでなく、大学生、ロースクール生なども一緒に参加する。
サークルなのにランナーは非常にベテラン揃いで、練習は非常にハード。

一番早いランナーは、フルマラソンのベストが2h25mで、他にもサブスリーランナーが沢山いる。
僕が参加するときは、一番遅く走るグループに所属するが、それでも率いてくれる女性は、ベストが3時間29分で、今年のNYCで3時間15分を狙っている瞬足ランナー。
この女性はハーバード大学出身で、精力的に各プロジェクトのリーダーを努めたり、ファイナンスの授業でTAを勤めている。ちなみにWhartonで出会った彼氏と婚約済。彼氏のベストは2時間43分で、人柄も良く勝てる所がない。
一緒に練習参加するクラスメイトも、クラスターの代表を務めるリーダーの女性で、ベストはサブ3時間15分を切っている強者。

マラソンを通じて出会うメンバーは積極的に努力する人が多く、話しているだけでモチベーションが高まるのを感じる。

毎週練習メニューは異なるけれど、基本的にはスピード練習。
今日の自分が行った練習メニューは以下。
・8キロジョギング(キロ6分30秒ペース)
・400m×4本(キロ3分45秒ペース)
・6.4キロペース走(キロ4分20秒)
・400m×4本(キロ3分40秒ペース)
・400m流し

最後の400mダッシュは、呼吸困難に陥るんじゃないかと思える苦しさ。
毎週トレーニングしたら力が着くとは思うが、故障の心配があり、やり切れずにいる。
練習中には痛みを感じないものの、終了後にはふくらはぎに激しい痛みがある。
きっちりと脚の疲労を抜いてフィラデルフィアマラソンに控える必要がある。


Sunday, November 4, 2012

中止になったNYシティマラソン当日のセントラルパーク



せっかくなので、EPICの練習会を実施しようということで、8時30分頃に、NYCマラソンのTシャツを着て向かうことにした。
驚いたのは、大会当日かと思える大量のランナー。それぞれ大会当日用に用意したコスチュームを着てお互いに声を掛け合ってジョギングしている。

まだ人が増える前の以下の写真でも、盛況感がある!













実際に沿道で応援しているボランティアの方や、エイドを創ってバナナや飲み物を配っている方も多数。開催していれば、街全体がNYCマラソンに参加してるんだろうなぁという雰囲気を想像した。
気持ち良くなって合計2周半、計27キロをジョギングする。中止になったとはいえ、2週間後にはフィラデルフィアでのフルマラソンを控えており、入念に準備する貴重な調整日。

終始激しい声援を浴び続け、本物のマラソン大会を味わっているような充実感を味わい、大満足。一方で感じたのは、もしNYCマラソンが実際に開催されていたら、どれほど豪華な大会だったんだろう、と想像した。
来年は必ず走りたい!
Epicのメンバーみんなで、まだ撤去されていないゴール地点(セントラルパーク)で撮影。

Friday, November 2, 2012

NYマラソンが急きょ中止


11月4日に予定されていたNYCマラソンはサンディの影響で開催が危ぶまれていた。

ハリケーンが過ぎ去った30日(火曜)には、NY市長が、大会は必ず開催する!と宣言していたため、世界中のランナー達は予定をキャンセルすることなく、予定通り会場に向かっていた。日本で同じ状況だったら絶対に中止になるだろうな、と思ったが、「世界一ポジティブな都市」という友人の言葉通り、開催が確定していた(はずだった)。

なので11月2日(金曜)に現地入りして、展示会場でのゼッケン受け取りを済ませていた。
展示会場には1万人以上のランナーが集結し、今まで参加したどんなマラソン展示会場よりも盛況感があった。

セントラルパークを一緒に走るEPICの方とパシャリ!












開催2日前なので、無事にXSサイズのシャツをゲット。
その日の夕方17時頃に、友人3人から連続して「NYCマラソンが中止になった」と連絡を受ける。1通目を受け取った際、大会HPをチェックしたが、「大会は開催する!」という旨の記事が5時間前にアップロードされており、イタズラだと思った。本当は、発表の結果をHPに反映させるのが間に合わなかったらしい。
残念だけど、被災者支援が最優先だから仕方がない。代わりに当日、セントラルパークでロングランすれば良いと気持ちを改める。

Thursday, November 1, 2012

ハリケーン Sandyが襲来


1029日に史上最大規模のハリケーンが東海岸の大都市に襲来するというニュースが連日報道されていた。

ペンシルバニアやニューヨーク、ワシントンDCでは報道を受けて、地下鉄やバスなどの公共機関が28日(日曜)、29日(月曜)にストップして、全授業が休講になった。夏に受けた教授は、5年間で1度大雪で休講になったことがある、と話していたので、非常に警戒すべき非常事態だと言える。

フィラデルフィアの被害は殆どなく、弱めの台風という印象だったが、NYの被害は激しかった。
マンハッタンの40st以下は停電し、地下に浸水した水のせいで地下鉄がストップ。Sandyが過ぎ去った29日以降、復旧に1週間も要してしまう大惨事となった。

NYCマラソンのために11月2日にマンハッタン入りしたが、ちょうど1日まではフィラデルフィアからNYに向かうアムトラックは動いていなかったので、ギリギリのところでインフラ整備が間に合った。

NYの街を歩いていても、未だに信号が停電していたり、一部の地下鉄が全く機能していない、セントラルパークの木が倒れている、など被害の一部を垣間見た。

今回のハリケーン上陸によって、29日(月曜)に予定されていたあファイナンスの試験が延期され、MBA学生たちは喜んでいた。facebookで試験延期に関して喜びコメントが沢山挙がるなか、一部、「サンディのおかげでパーティ出来る」という不謹慎なコメントが多く出ていて、違和感を覚えた。

同じく違和感を覚え状況を見かねた中国人の友人が、注意喚起のためにポストした内容がある。
「Building on the previous thread, you guys should really be careful on what you say or share on facebook , because what you say actually refines what the Wharton brand is. MBA is a serious business and no one wants to attend a pure party school. Thank you.」

この内容を見て、その通りだなと感じた。
日本で震災や台風が直撃した際、大学や仕事が休みになって、ホームパーティ出来ることを喜ぶツイートを見たことが無かった。被災されている方々の気持ちになるべきだと思っていた。
しかし、数人の返信ツイートには、以下のようなものがあり驚愕した。
「you need to know how to differentiate jokes from serious posts. Of course that people are not happy with the hurricane and all of us are conscious of how terrible is the situation.」
「People are trying to make a tough situation easier to deal with. Nobody is hurting our school brand.」

その後、被害は予想以上に拡大し、NYのインフラは壊滅してしまう事態に発展したのだが、このコメントが訂正されることはなかった。
日本人としてのバランス感覚が正しいとは限らないけれど、彼のように自分が信じる思いを流布させることが留学期間に必要だと改めて痛感した。