Sunday, June 24, 2012

マラソンの楽しさを教えてくれた大切な人!

マラソンをやっていて心の底から良かったと思えること、

それは「人との出会い」。
2009年8月にマラソンを始めて、僕がもっとも影響を受けた人、陽子さんとのディナー。
僕の価値観を変革させてくれた陽子さんには本当に感謝している。
2011年12月4日にアミノバリュークラブという大塚製薬後援のマラソンサークルの忘年会で初めて出会った。
(アミノの説明は別の機会に行う)

彼女が主体的に立ち上げた別のサークルで「東日本チャリティリレーマラソン(通称:風ゆる?」というリレーマラソンを行うサークルがある。いま気づいたが僕はサークル名を知らない(苦笑)。
毎月1回、大阪城の周回コースをリレーで走る。42キロ分、みんなでタスキをつなぎ、大阪から東北までの距離を埋めていく。
毎回、100名近い参加者が参加料として500円を、赤十字を通じて東日本大震災の復興支援の義援金として寄付する。
彼女たちの活動を応援する企業がスポーツ用品や飲料を寄付してくれ、活動を盛り上げるサポートをしてくれている。
もともと神戸出身の陽子さんは、1995年阪神大震災当時、震災支援の雰囲気が時間とともに加速度的に忘却されていくのを被災者として感じた。
なので、東日本大震災の復興支援のために自分たちに出来ることを追求した結果、「少しでも長く支援を続けよう・広く支援の輪を拡大させよう」と願い、東北までタスキをつなぐリレーマラソン企画を立ち上げた。

こんな活動を行う陽子さんと接していて本当に凄いと思うのは、彼女が常に他人の立場に立って動き続けていること。

自分よりも他人、みんなの喜ぶ姿をみるために積極的に裏方の仕事が出来る、彼女の魅力で大量の素敵な人たちが惹きつけられる。
そんな素敵な人が、どんどん魅力的な人を呼び寄せるという正の連鎖が起きている。
陽子さんは、輝く花のまわりに無数の蝶が集まってくるのを見ているようで、ヒマワリみたいな人。

だから彼女のコミュニティは本当に楽しい。

初めて出会った1週間後に出場した奈良マラソン。
僕を含めてアミノ、風ゆるのメンバーが沢山ランナーとして参加していたが、彼女は応援で駆けつけていた。
残3キロの一番しんどいタイミングで大声で名前を呼んでもらった!パワーをもらって、全身が震えて、涙が出た。マラソンで泣いたのは初めて。
マラソン大会での楽しさの1つは、地元の人たちが声援を送ってくれ、元気をもらうことだけど、友人に同じことをされると10倍嬉しい、と感じた。
彼女から刺激を受けて、1ヵ月後は彼女と一緒に大阪国際マラソンの応援に駆けつけた。
知り合いは勿論、知らない人にも大声で「ファイトー!」と声を掛ける陽子さんの真似をしながら、自分も応援する。

マラソン大会の沿道での応援は、想像を遥かに超えて、応援は楽しい!
楽しいポイントは2つある。
1つは、声援に応えてくれるランナーが予想以上に多い。
約5000人が出場する大阪国際マラソンで、感覚的に20%のランナーは応援する僕たちに対して、「ありがとう」とか「頑張るわー」と言ってくれる。
1時間で1000人に感謝される経験は一度体験するとハマる。
2つは、感動的な場面に何度も立ち会える。
一般道を走る大会は、各キョリ毎に時間制限をかけていて、関所が設置されている。
今回は関所ポイントで応援していたが、トップランナー、友人を応援する時は勿論興奮するが、タイム制限ぎりぎりに足を引きずりながら、関所を越えるために
ペースを上げる同年代の女性を応援した時は泣いてしまった。今綴っていても泣けてくる。
人のために動くこと、感謝されることの楽しさを体感させてもらった。陽子さんは年に10回以上友人を応援するためだけにマラソン大会にかけつけている。

そんな陽子さんに渡米直前に頂いたメールを引用。
・大変=大きく変わること。
・それも大事だけど、今のままの僕の居心地の良さは変わりませんように。
・人との出会いってタイミング。そして、出会うべくして出会えた人は、何年一緒に過ごしたかじゃなくて、どれだけ濃密な時間を共有出来たか。
・これから始まる新しい時間軸の中で、沢山の濃い出逢いがありますように。それをいっぱい繋げて、帰ってきてね。心の底から応援してるよ。
引用終。


僕が陽子さんから学んだことは、「マラソンは、人から感謝され、人に感謝する団体競技」ということ。

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